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時事談義・イラスト・ミニアニメetc.


by eisakutyan
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1945/08/06/am8:15

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宗教法人としての靖国は解体して特殊法人へ改組して遊就館は防衛庁の管轄下に置き、A級戦犯の合祀問題は国会で決めたらいいという、麻生外相の靖国提言はまともである。この論への賛成・反対は別として「万機公論に決すべし」というのは当然で、「都合が悪いから頬っかむり」という安倍ポンとは雲泥の差である。「中二階組」はここが正念場と思っているのか、はたまた来年の参院選後にもう一勝負と考えているのか、いずれにせよ野党側は自民内の動向をしっかり見据えておく必要がある・・というところで、今年も61回目のヒロシマがやって来た。

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戦役勤務に起因」と限定 靖国合祀基準で東条元首相 2006年 8月 5日 (土) 19:06
(共同通信)

 第2次世界大戦末期、東条英機首相(兼陸相)=当時=が「戦役勤務に直接起因」して死亡した軍人・軍属に限るとする靖国神社合祀(ごうし)基準を陸軍秘密文書で通達していたことが5日までに分かった。

文書は、靖国への合祀は「戦役事変に際し国家の大事に斃(たお)れたる者に対する神聖無比の恩典」と位置付け、合祀の上申は「敬虔(けいけん)にして公明なる心情を以(もっ)て」当たるよう厳命。原則として戦地以外での死者は不可としている。元首相自身の戦中の通達に従えば、戦後の同元首相らA級戦犯は明らかに「合祀の対象外」となる内容だ。

文書は1944年7月15日付で「陸軍大臣東条英機」名で出された「陸密第二九五三号 靖国神社合祀者調査及上申内則」。原稿用紙29枚分で、原文のカタカナをひらがなに直して戦後に書き写したとみられる。80年ごろに旧厚生省が廃棄処分にした書類の一部として作家の山中恒氏が古書市で入手した。

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61年目の慰霊、広島で平和記念式典 2006年 8月 6日 (日)(中国新聞)

 ▽4万5000人が参列、市長「核廃絶、市民の責任」と訴え

 米国による原爆投下から六十一年目の「慰霊の日」を迎えた六日、広島市中区の平和記念公園で原爆死没者慰霊式・平和祈念式(平和記念式典)があり、四万五千人(市発表)が参列した。秋葉忠利市長は、平和宣言で「核兵器からの自由をもたらす責任は今や、私たち世界の市民と都市にある」と強調。固い意志と情熱を持って目覚めるときが来たと核兵器廃絶への行動を呼び掛けた。

 午前八時、秋葉市長と遺族代表が原爆死没者名簿を原爆慰霊碑に納めた。この一年間に亡くなったり、死亡が確認された被爆者は五千三百五十人に上り、名簿登載者の総数は二十四万七千七百八十七人になった。死没者の名簿は、今年初めて奉納する「氏名不詳者 多数」と記した一冊を含めて四冊が加わり、八十九冊になった。

 原爆が投下された時刻と同じ八時十五分―。遺族代表の米倉正明さん(46)=中区=と、こども代表で青崎小六年の三登百合子さん(11)=南区=が「平和の鐘」をつくと、参列者は起立して、一分間の黙とうをささげた。

 秋葉市長は平和宣言で、国際司法裁判所(ICJ)が十年前に出した「核兵器の使用・威嚇は一般的に国際法に違反する」との勧告的意見に触れ、核兵器廃絶が、その後実現できなかった危機感とその反省を基に、核軍縮に向けた「誠実な交渉義務」を果たすように求めるキャンペーンに取り組む決意を表明した。

 政府に対しては、世界に誇るべき平和憲法を守り、核兵器廃絶に向けた誠実な交渉義務を果たすよう核保有国に迫る世界的運動の展開を要請。高齢化した被爆者の実態に即した人間本位の援護策充実も求めた。

 続いて、南観音小六年の新谷望君(12)=中区=と、楽々園小六年のスミス・アンジェリアさん(12)=佐伯区=のこども代表二人が「平和への誓い」を読み上げた。

 六年連続の参列となった小泉純一郎首相は「今後とも憲法の平和条項を順守し、非核三原則を堅持する。核兵器廃絶と恒久平和の実現に向け、国際社会の先頭に立ち続けることをあらためて誓う」とあいさつした。

▽平和記念式典

 平和記念式典は、原爆死没者の慰霊と世界平和の実現を祈るのが目的で始まった。原爆投下2年後の1947年8月6日に開かれた平和祭で、当時の浜井信三広島市長が初めて「平和宣言」を読み上げた。以来、原爆の日の式典は朝鮮戦争(50―53年)のあおりで、50年に一度中止になったのを除いて、毎年続けられている。昨年は、被爆60年の節目で首相、衆参両院議長、最高裁長官の「三権の長」のあいさつがあったため、式典の時間は例年より20分長い65分間となったが、今年は例年通りの時間に戻された。

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 以上引用終わり。
 現在生存している被爆者の平均年齢は73.9歳になったという。
 小泉=ポチは被爆者との対談を今年も拒否して秋芳洞観光を優先した。「戦没者へ哀悼の誠を捧げる」というポチの式典における挨拶は故意に靖国参拝時のコメントと似せたものである。広島市長らが「核廃絶へ向けた運動の先頭に立て」と言っているときにこの男は「戦争被害者はお気の毒」というトーンで済ませている。この程度の人間なのである。

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*毎年繰り返される議論。

1.一瞬にして24万人もの民間人を焼き尽くし、或いは生存者らには不治の病=原爆後遺症を齎し、放射能で投下地域一帯を汚染したから核兵器はいけないのか?
 では通常兵器による「クリーンな」殺戮なら構わないのか?
 「24万人を一気に」ということではなく個々の人間を対象にした場合なら、手拭一本、竹べら一本あれば殺人は可能である。これは果して「道具」の問題だろうか?

2.アメリカ人の大半は原爆投下の判断は正しかったとの教育を受け、それをまともに信じている。最早「死に体」となっていたにも関わらず尚も焦土作戦を主張していた旧日本帝国陸海軍に引導を渡すには原爆使用は不可避だったのか?

 殺す側の論理の原則は「目的は手段を浄化し正当化する」にある。
 戦争の早期終結のためなら(ジャップをギブアップさせるためなら)広島市民が何人死のうが、どんなにむごたらしい死を迎えようが、一切お構いなしだったのである。

3.「必要は発明の母」などと言う。これは「戦争は発明の母」と言い換えても何ら不都合はない。
 新兵器が開発される。効果の程は実戦で確かめる必要がある。・・・。
 ヒロシマはその実験材料にされた。

 1945/08/06/am08:15当時の広島市民はモルモットにされた。
 「過ちは繰返しませぬから」などとは、投下した側は思っていない。
 第一「過ちだった」などとは思ってもいないのではないか。

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by eisakutyan | 2006-08-06 15:09